
対立で分ける。比較で競う。人より上に立つ。その方法で、私たちはここまで来ました。
経済も、教育も、国と国の関係も。うまくいかなくなっているという実感を、多くの人が持ちはじめています。
次を、何で立てるのか。それを決められるのは、いま生きている人だけです。
調べても、人に聞いても、AIに聞いても、最後の一歩は出てきません。そして私たちは昔から、その一歩を身体の言葉で語ってきました。
説明はできる。それでも、内側のどこかが承知していない。
やるべきだと分かっている。それでも、動き出せない。
条件は揃っている。それでも、決心がつかない。
腑。氣。肚。どれも、身体の言葉です。
割らずに分ける。両方を残したまま扱う。この感覚を、この国の人は千年以上、自然との関わりのなかで持ってきました。四則和算は、それを計算として書けるようにしたものです。
この肉体の微細な声を聴く、研ぎ澄まされた感覚を「身体知性」と呼ぶのであれば、それを徹底的に磨き上げてきたのが「武士道」であり、「武士(モノノフ)の智慧」です。AIが言葉と論理を担う時代に、人に残るのはこちらです。
「足す、引く、掛ける、割る」が従来の四則演算です。光吉博士は「切る、動かす、重ねる、裏返す」という、まったく新しい計算法を発明しました。
割らずに、二つに分ける
境目の変化を扱う
同時に在ることを扱う
裏返して、つながりを見る
なぜその数式が戦争をなくすことにつながるのか。その真意は講演会とリトリートで存分に体感してほしいのですが、簡潔にお伝えできる範囲で言うと、私たちの世界の見方を根本的に変えてしまうからです。その際たるものが「割り算」です。
私たちは算数で 1 ÷ 2 = 0.5 と習いました。しかし光吉博士は、幼少期からずっと疑問に思っていたそうです。現実でりんごが真っ二つに割れたなら、0.5 と 0.5 になるはずです。しかし割り算では、片方が消えている。
答えを一つに寄せるために、もう一方を消します。
1を2つに切れば、0.5と0.5。どちらも消えません。
これを「善」と「悪」に置き換えてみましょう。「悪」という概念が存在するためには、その反対の「正義」が必要です。「暑い」という概念が、その反対の「寒い」を必要とするのと同じです。
「自分は正しく、相手は間違っている」と考えた瞬間に、自分と相手が善と悪の二つに割られ、対立が生まれます。そして相手を否定する、消すという行為で解決を図るのが「割り算的な物の見方」です。これが私たちの世界において、争いや歪みの根本的な原因となっています。
しかし、これでは永遠に根本的な解決が望めないことは、歴史が証明しています。棒磁石のN極とS極を真ん中で叩き割り、S極を消そうとしても、割れたN極からまたN極とS極が生まれます。これと同じことを繰り返しているのが、今の世の中なのです。
そもそも何を善悪とするかは人によって様々であり、状況や時間によっても変化します。貧困の窮地に追い込まれた父にとって、飢えに苦しむ娘を食べさせるための盗みは、果たして「悪」でしょうか。
善と悪の境目は極めて曖昧であり、動的に変化するものです。それを計算可能にしたのが「切算」と「動算」です。善と悪を割って片方を消すのではなく、二つに切り分け、同時に存在する概念的な構造として扱いました。
また、それがグラデーションのように変化する働きを「動かす」ことで扱えるようにしました。これに重算、裏算、そして今なお進化し続ける算術が加わったものの総称を「四則和算」と呼びます。
四則和算をもとにした量子ゲートの発明は、東京大学を出願人として、米国で特許登録されています。命題(PPT)に対して、逆(CON)、裏(INV)、反(ANT)、無(MU)、無限(MGN)、そして揺らぎ(KU)を同時に扱う演算子として記載されています。裏算の「裏」は、ここに現れます。
そこから、新しい機能が生まれます。
日本の地で生まれたこの数理を、熊本の皆さんに知っていただきたい。今回はそのための試みです。
武士道が磨いてきたのは、勝つための技ではありません。無益な争いを起こさないための、身体と精神です。三日間は二部構成。それを言葉で解き、身体で確かめます。
武士(モノノフ)の思想を、光吉先生独自の数理の視点から解き明かします。入口は精神論ではなく、算数です。なぜ人は争うのかを式で見てから、AIの時代にこそ必要な武士道の姿へ接続していきます。
争いは、感情の問題として語られがちです。しかし光吉先生は、それを数理の構造として扱います。武士道が求めたのも、同じでした。抜かずに済ませるために、身体と精神を磨き上げること。言葉で、その筋道に火をつける一日です。
城乃井旅館 / 菊池
会場の城乃井旅館は、菊池一族を祀る菊池神社の桜の参道沿いに佇む、昭和32年創業の温泉宿です。客室は九室のみ。光吉先生の血が流れる土地の、その参道で、言葉の一日が始まります。
直会 / NAORAI
部屋を移して直会です。清流の都・菊池の食材を、女将が心を尽くして仕立てた膳が並びます。
ここは、問いを持ち帰るための時間です。講演では手を挙げられなかったこと。自分の仕事や、子どもの教育に引き寄せた話。同じ話を聞いた人たちと、熱が残っているうちに交わせます。
講演で受け取った内容を、身体で確かめる二日間です。中心となるのは、光吉先生が伝える「幾何虚数場」を体感する身体実践法。言葉にすれば難解なそれを、身体はすでに知っています。新しく覚えるのではなく、眠っているものを起動する。侍の暮らしを模して作られた場で、その扉を開きます。
争わないでいられる身体とは、どういうものか。頭で納得するのではなく、自分の芯で確かめます。朝の稽古、弓道場、二メートルを超える大太鼓。晴れた夜には焚き火を囲みます。阿蘇の土地が、半分を教えてくれます。
江戸時代の侍の暮らしを模範として作られた、阿蘇山麓の文化リゾートです。モノノフの感覚を思い出すのに、これ以上の場所はありません。
「武士道」と銘打っていますが、身体ワークは体力や武道経験を問わず、女性も安心してご参加いただける内容です。激しく打ち合うようなことはありません。ご自身のペースで進めていただけます。
鳴鳳堂 / 阿蘇
三日間の内容と、リトリートで扱う「幾何虚数場」について、二本の動画にまとめました。
四則和算を実践・研究されている木村一樹先生に伺いました。リトリートで体感するものが、そもそも何なのか。(本イベントの登壇者ではありません)
YOUTUBE で見る
昭和40年(1965年)1月20日生まれ。彫刻家・建築家として、JR羽犬塚駅前彫刻や法務省赤レンガ庁舎の設計などに携わる。その後、独学でCG・コンピューターサイエンス・数学を学び、「音声感情認識ST」の原理とアルゴリズムの特許を取得した。
博士(工学)を取得。量子コンピュータの量子ゲートを計算する演算子を開発して特許を取得し、ホワイトホールの計算をその演算子と拡張リーマン球体モデル、幾何虚数場理論によって行い、論文として発表した。スタンフォード大学、慶應義塾大学、東京大学で研究。任期終了により東京大学大学院特任准教授を退任後、現在は同校非常勤研究員および麗澤大学客員教授を務める。
そして極真館フルコンタクト空手七段。会長より屋号「数学の極真」を拝名した、征武道格闘空手師範でもある。数理と身体、その両極を生きる稀有な人物。菊池一族の末裔として、今回、その血の流れる地に立つ。
株式会社ロンズデーライト代表取締役。開アカデメイア主宰/叡智生態系アーキテクト。筑波大学で国際関係学・政治哲学・憲法学、京都大学大学院で社会経済学を専攻。「世界の構造と意識の構造」のメタ変化の必要性を痛感し、様々な探究に入る。AI時代に一人ひとりが人生と未来のアーキテクトとなるための様々な学び・実践・交流の場として「叡智生態系」を提唱・設計している。
熊本市生まれ。十代を音楽に捧げ、二十代で米国へ留学。UCバークレーに合格するも、現地で資本主義社会の限界を体感し、入学を辞退した。その後、南米でのシャーマン儀式や東南アジアでのヨガ修行を通して、精神的な探求を深めた。
意識変容の分野や外資系スタートアップに身を置いていた頃、四則和算と出会う。世界を歩くなかで感じてきた行き詰まりの原因が「割り算的思考」にあったと知り、衝撃を受けた。その後、阿蘇にUターン。2021年より光吉俊二に師事。空手と四則和算の稽古を重ねるなかで、その二元論的な思考から抜けていく過程を身体で通ってきた。この三日間は、稽古で受け取ってきたものを、生まれ育った土地でひらく試みでもある。
一日だけ受け取るか、三日間すべてを通るか。
菊池・阿蘇いずれの会場へも、お越しは各自での手配をお願いしております。菊池には鉄道駅がないため、お車でお越しいただくのが確実です。
なお、10/4 の菊池→阿蘇の移動に限り、主催より参加者間の乗り合わせを調整いたします。お申込時に移動手段をお伺いしますので、ご希望の方はその旨をお知らせください。9月中に組み合わせをご案内します。